トップページ > 【評価順】スポーツの本> 【読書感想】『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』長谷川 晶一
プロ野球史上最弱と言われ、3年で散った個人オーナー球団のドラマ
『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』長谷川 晶一著 書評
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1954年から1956年まで活動し、史上最弱といわれたプロ野球球団「高橋ユニオンズ」について書かれた本。
僅か3年という短い期間ながらそこには様々なドラマがありました。
私は「高橋ユニオンズ」という球団が存在していたのは知っていましたが、さほど深い知識を持っていませんでした。
知っていたのは、企業ではなく、一個人がオーナーとして球団運営していた唯一のチームということだけ。
そのため、「高橋さんというお金持ちが道楽で球団経営をした」程度のイメージだったのですが、本書を読みその印象はガラリと変わることになりました。
本書は「高橋ユニオンズ」誕生のいきさつから書かれています。
当時のプロ野球は、セ・リーグ6球団に対し、パ・リーグは7球団。そして、圧倒的にセ・リーグの方が人気があったそうです。
一昔前は「人気のセ・実力のパ」という言葉がありましたね。
そこで対抗策として、当時のパ・リーグ総裁永田雅一が考えだしたのが「パ・リーグ8球団構想」。
一気に球団を増やそうということですが、この永田の根拠のない思い付きが悲劇の始まりでありました。
永田は球団を1つ増やすべく、様々な企業に打診するも断られ、「日本プロ野球界のために」と思い腰を上げたのが、高橋龍太郎だったのです。
ビール製造技術者から経営者となり、「日本のビール王」とも称された人物です。
永田は「既存の7チームから一流選手を供出する」「資金面でも永田を中心として支援する」という2つの約束をして、高橋は引き受けることになります。
ちなみに、プロ野球の新規参入はそれから50年後の楽天イーグルスが誕生するまで、ありませんでした。
本書は球団設立1年目、2年目、3年目とシーズン毎に章立てされ、描かれているのですが、とても悲惨的な運命を高橋ユニオンズが辿ることがわかります。
球団誕生早々、永田が伝えた約束は簡単に反故され、各球団からいらなくなった選手だけが集まります。
シーズン前から「ポンコツと呑兵衛の寄せ集め」と言われ、新聞でも「最下位の覚悟必要」と書かれる始末。
シーズンに入ると残念ながら負けてばかり。チーム3年間の歴史の中で貯金が出来たのは僅か1日だけ。
それどころか、「1イニング7四球」など不名誉な記録を続出させます。
当然、人気も全く出ることがなく、実売入場券がわずか29枚という日もあったとのこと。凄まじすぎますね。
そして他の球団から資金面の支援もなく、高橋龍太郎は私財をつぎ込むようになり、住んでいた家も売却。
それでも、毎日球場に通い、試合を観ていたとのことで、相当な覚悟を持った人物であったのだなということがわかります。
そんな3年間の中でも、1955年、同球団に所属していたヴィクトル・スタルヒン投手が日本球界初の300勝を達成したり(この年で引退)、六大学の花形スターであった佐々木信也(後、フジテレビ「プロ野球ニュース」のキャスターとして活躍)の入団など良い出来事はあったそうですが、「とにかく弱い」という大前提があるため、その苦闘ぶりは読んでいて心が痛むほどです。
そしてパリーグの人気はさらに下がり、4年目に入る前に、永田は「6球団構想」に鞍替え、「高橋ユニオンズ」はあえなく消滅することになりました。
チームは解散し、既存球団に吸収されていきますが、もともとつまはじきにされていた選手が大半であったため、それから数年のうちに大半の選手が引退したそうです。
最終章に、当時の球団メンバーで2011年時点で存命している方に著者がインタビューを試みていますが、印象的だったのが、「あの球団でプレイしていた時は面白かった」と肯定的に捉えていた人が少なくなかったこと。
客観的には悲劇に思えても、当人にとっては良き思い出となっているようで、困難な事も時間が立てば懐かしい良い思い出として消化されることがあるのだなと感じました。
3年間だけ存在し、負け続け、「史上最弱」といわれた唯一の個人オーナープロ野球球団。
この稀有な存在はこれからも語り継がれることになるのでしょう。
こんな人におススメ!
・日本プロ野球の歴史の中でキラリと光るドラマを知りたい人
・「日本プロ野球史上最弱」と言われたプロ野球チームを知りたい人
・プロ野球界発展のために私財を投げうった高橋龍太郎という人物を知りたい人
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読書日:2015年11月
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