時流に流されない「真実の目」を養っていこう
『佐高信の昭和史』佐高信著 書評
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佐高信さんはノンフィクション作家であり、評論家。数多くの著書を出されています。
昭和史を学びたいと思い、手に取ってみたのですが、佐高さんは左寄りの方で安倍さん批判を随所で展開しています。
私はどちらかというと右寄りではありますが、なかなか興味深い内容でした。
目次をみてみると、面白いテーマが並んでいます。
序章 疑念を持って歴史を見つめる視点−もうこれ以上だまされてはいけない
1章 銀行を潰したのは誰だ?-昭和恐慌はなぜ起きたのか
2章 なぜ軍国主義に染まっていったのか-苛烈化する思想
3章 なぜ「世界の孤児」へと暴走したのか-満州事変から国際連盟脱退にいたる道
4章 時流に媚びない人たち-彼らはどう異を唱えたのか
5章 戦争協力と戦争責任を考える-日本的な同調型思考停止のワナ
6章 つくられた終戦記念日-本当の終戦はいつだったのか
7章 戦後を牽引したニッポンの会社の裏側-サラリーマンはなぜ「社畜化したのか」
8章 労働組合は何をしてきたか-なぜか嫌われる理由と本来の意義
9章 社会党はなぜダメになったのか-リベラル勢力の凋落に思うこと
10章 創価学会はなぜ現代のタブーになったのか-政教分離を瓦解させたモンスターの正体
終章 組織・社会とどう関わっていくか
本書のハイライトは、「なぜ日本人は愚かな戦争に突き進んでしまったのか」という点になるでしょう。
この点については、次の文章に尽きると思います。
たとえば、音楽業界を牛耳っていた重鎮たちは、戦後、責任のなすりつけあいをしました。
音楽家は、自分たちは情報局の圧力で旗振りをさせられていただけなのだと主張し、情報局は、評論家たちの論調に影響されたのだと言い、評論家は、実際に好戦的な音楽活動をしていた音楽家たちにこそ責任があるといった。
いろいろなところで同じような責任転嫁が行われました。
そのうちに、「みなに責任があったのだ」という話が出てくる。これも日本人が陥りやすいところです。「一億総懺悔論」のような話にしてしまうことで、責任を分散、いや棚上げして、雲散霧消させてしまうのです。(147ページ)
個人は組織の中に個を埋没させて責任逃れをし、組織は官や国に責任転嫁をする。
この日本的体質は、一人ひとりが「個としての自覚」というものを変えていくことでしか、変わっていかないと私は思います。(150ページ)
日本人は良くも悪くも大衆の流れに迎合してしまう気質があり、それが良い方向に向けば物凄いパワーを生み出すのですが、悪い方向に向かえば先の戦争のように、取返しのつかない所まで突き進んでしまう。
そして、それは責任の所在を明確にしない体質が起因しているということなのでしょう。
しかしながら、そのような戦時下の中でも平和を最後まで訴え続けていた人々がいたことは尊敬に値すると思いました。
・「小日本主義を唱え、満州を放棄し、平和的に貿易で、経済戦略で世界と渡り合うべきと主張した石橋湛山
・真のアジア開放に情熱を注ぎ、国策に対し経済侵略だと言って、抗議するために自ら食を断ち、「アジア留学生の父」と呼ばれた穂積五一
・時局への批判を繰り返し、「関東防空大演習を嗤ふ」という社説を書いたジャーナリスト、桐生悠々
・理不尽さに抗い、反戦的な作品を発表し続けた川柳作家、鶴彬
・軍歌を歌わず、モンペではなく、ドレスを着て歌い続けた淡谷のり子
・積極的に軍歌をつくろうとしながった作曲家の服部良一
時代背景として、俳優の三國廉太郎さんが、戦時中、徴兵忌避をして逃亡し、捕まった時に、母から「何も言わずに我慢して死んでちょうだい」と言われるのが当たり前であった時代の中での行動ですから、真に勇気のある方々なのでしょう。
また、終戦記念日である8月15日は作られた日付けであり、他の国では降伏文章に調印した9月2日を終戦日と認識し、15日は玉音放送があったのみというのも意外でした。
本来であれば9月2日、もしくはポツダム宣言を受諾した8月14日がより、深い意味合いを持つのではないでしょうか。
「なぜ、日本は愚かな戦争に突入してしまったのか」というテーマは私も最も関心のある事の一つです。
引き続きこのテーマについて追及していきます。
こんな人におススメ!
・昭和史について勉強したい人
・日本人が陥りやすい危機を知りたい人
・時流に流されない真実の目を身につけたい人
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読書日:2016年8月
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